2008年08月30日
某カトリック系 BBS を見て思うこと
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
©日本聖書協会,『新共同訳 新約聖書』 マタイによる福音書 7章 1節 より引用
反撃が怖いのでどことは書かないが,そこを見ているといつも思う.「なるほど」「正しいな」と思うことを言っていても,いつも人を裁いたり糾弾しまくる書き込みとその書き込みへの賛同ばかりなので,個人的に賛成できる意見であっても,その輪に入りたいとは決して思わない.
結局,私から見たら,彼らが糾弾している人と,彼らはどちらも「近寄りたくない,関わりたくない」人で一致している.そして,また,教会に行くことにウンザリ感を積み重ねることになる...こう書いていると,自分も「裁きの連鎖」に巻き込まれそうなので,これでおしまい.
投稿者 kanemiki : 16:16 | コメント (0) | トラックバック
2008年04月01日
師匠の新しい仕事
今年度から,師匠が神学院の教壇に立ち,典礼音楽の講義を担当することになりました.
叙階してから数年以内の司祭の話を聞いていると,前任者は音楽家(作曲家)だったので,音の微妙なズレや違いを指摘されたことが何となくわかります.音楽家としては,確かに注意したいことなのでしょうが,典礼音楽(特に「聖書のことば」が歌詞としてついているもの)の場合は,ことばを大事にしないで,旋律にだけ気を配ることに意味はありません.
作曲家が旋律のなかに意図したことは,極論かもしれませんが,ことばをしっかり認識して初めて「おぉ,だからこうなのね」と理解しても遅くないと思うのです.考え抜かれた旋律なら,旋律のなかに意図したことにたとえ気づかなくても,自然に祈りの音楽として成立するはずだからです.
師匠は,音楽の専門家でもありますが,神学を修めた人でもありますから,その点は安心です.なれないうちは講義の組み立て等で苦労することがあると思いますが,ぜひ,がんばってほしいものです.陰ながら応援 & 祈っています.
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2008年02月03日
北原怜子さんの追悼ミサ
蟻の町のマリアとして知られる北原怜子さん.今年は帰天50年ということで,蟻の町にあった教会を設立の流れに持つ,カトリック潮見教会(一部,隣のカトリック会館)で,今日の午後追悼ミサがありました.わたしは別の用事で,主日ミサだけで帰ってきたので,当時を知る方のお話を聞く機会はなかったのですが,前日から準備されていた彼女ゆかりの品々を見ることができました.
あとは,撮ってきた写真で御紹介します.
潮見教会訪問記
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カトリック潮見教会の最寄り駅,京葉線潮見駅のホーム.東京では「大雪」と呼ばれるレベルの雪が降っていました.この日は,蟻の町のマリアとして知られる北原怜子さんの帰天 50周年の追悼ミサでした. |
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いつもの主日ミサのあと,午後の追悼ミサに向けた準備が始まります. |
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祭壇の十字架の下に,蟻の町の頃に実際に使っていたタペストリーがかけられました.写真ではわかりにくいですが,周囲の生地は,自分の家にあった帯で作ったのだそうです. |
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今日は特別に,祭壇の脇に,蟻の町の頃に実際に置かれていたマリア像が飾られました. |
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オルガンと燭台.これも蟻の町で実際に使っていたもの.オルガンは,怜子さんが弾いていたものだそうです. |
投稿者 kanemiki : 22:46 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月10日
いやしと分かち合いの集い
昨年から参加させていただいている「いやしのミサ」がリニューアルだそうです.
- 日時 2008/01/27 15:00
- 場所 聖イグナチオ教会 マリア聖堂
- 司式司祭 西脇 純 神父
- 説教 ドメニコ・ビタリ 神父(イグナチオ教会主任司祭)
16:30 より,ヨゼフホールにて分かち合いの集いがあるそうです.ここが,従来と違うところです.
いただいたハガキには,連絡先として K さんの名前,電話,ファクシミリの番号がありますが,彼女がすごいと思うのは,こうした企画をまとめあげる能力でしょうか.もちろん,ミサも素晴らしいのですが,こうした機会を定期的に行うのがどれだけ大変なことか...頭の下がるおもいです.
投稿者 kanemiki : 13:48 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月06日
初夢/元旦のテレビ
今日の時点では ホームページ のいちばん上にも書いてあるのですが,初夢はひどいものでした.1日〜2日にかけては何も見なかったので 2日〜3日にかけて,ということになるのですが.
その内容ですが,寝る前に sage で,ブログの更新状況を確認したら omasico さんのブログが更新されていることに気付き,それを読んでみたのでした.T 夫妻って,きっと,わたしたちのことだろうなぁなどと思いつつ.
それに感化されたわたしの初夢は,どこかの教会の聖堂で聖歌の練習をしているものでした.なぜか,2つのグループが,聖堂の右,左にわかれて座り,交互に同じ曲を練習し合うというもの.自分がいるグループは omasico さん,詩編を歌う会でみかける顔,K 夫妻が座っている.もう一方は,これまたおなじみのグループ...で,ものすごーく,はりつめた空気が流れているという状況なのです.途中で,向こうから何度となく「あなたは,こっちに来なさい!」と怒られるのですが,わたしが「わたしは,こっちで歌いたい」と,叫んでいる.いずれにしても,あまり良い夢ではありません.
TS さんが著作で書いていることを,ものすごーく悪く解釈している人が多いような気がします.
ミサで歌うとき、わざとでなければ、変な声で歌ってもよい。わざとでなければ、音程やリズムを間違えてもよい。わざとでなければ、ことばを間違えてもよい。
=典礼聖歌を作曲して pp.18 より引用=
本を持っている人なら,上記の文章の最後にある,いちばん大事なことば
しかし、心から歌っていないのなら零点の場なのだ。
が抜けていることに気付くでしょう.
元旦のテレビで,安物と高級品の二択で,芸能人の格付けをやる番組があったのですが,その中のひとつが,練習用の安い弦楽器と,億単位の値段の弦楽器で同じグループが同じ四重奏を演奏して,聞き比べるというものでした.
40年歌手をやっている人が間違える一方,あまり音楽に縁がないと言う若手芸人さんと格闘家が正解していることも面白いのですが,思わずうなったのが,正解した若手芸人の格闘家のことば「こっち(正解の弦楽器)の音は,心に響いてくる」です.彼らは,耳で聴いた音だけでなく,心でも音を感じ取ったのでしょう.
教会でオルガンを聞いていると,前奏と後奏のオルガン曲は一生懸命でも,聖歌は思いっきり手を抜いているのが音に出ている人がいます.また「楽譜読めないし,適当に歌っていいんだろ」と言う人もいます.どちらのケースも,TS の著作の最後のことばが抜けているケースだなぁと思ってしまうのです.
音楽をどう感じるかは最終的には感性の違いですが,手を抜いたり,または,心から歌う気持ちがともなっていなければ,誰かがそのことに気付いているように思います.人間でさえ気付くことを,ましてや神が気付いていないはずもなく...自戒をこめて,そんなことを新年のテレビ番組をみながら考えたのでした.
投稿者 kanemiki : 23:13 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月04日
今年最初の買い物
何と「古本」でした.しかも,ここに書くからには,当然カトリックに関わる書籍です.
ここしばらく探していた,フランシスコ会訳の「シラ書」です.フランシスコ会訳の旧約聖書のうち,シラ書だけが我が家になかったのです.別の本を探していたときに,偶然見つけたのでした.おぉ!と思い,早速注文したのが元旦の夜だったのです.
昨年は,フランシスコ会訳の聖書が合本で出版される予定でしたが,出版予告もないまま年が明けました.新約聖書のみ一冊にまとまったものはありますが,旧約聖書は分冊しかなかったので,集めるのも(その費用も)大変でしたが,これで旧約聖書については全部揃いました.新約聖書は,新約のみの合本を持っていますが,分冊も「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ヨハネによる福音書」以外は持っています(解説文の詳細さが全然違うので).
今年は,少しずつでもいいので,読み進めていこうと思います.
投稿者 kanemiki : 18:14 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月08日
おどろきの電話...
心のともしび の某神父様から電話がありました.もちろん,個人的なツテがあるわけではなく,心のともしびで売っている品物の購入について,メールで問い合わせをしたことがきっかけでした.わたしは 援助会員 なので,名簿を調べれば電話も住所もみんなわかるので,おそらく電話した方がはやい!ということになったのでしょう.
ここ数日,ものすごーく調子が悪くて,起き上がるのもけっこう辛い状況です.経緯からしても非常に事務的な話だったのですが,声を聞いただけでも元気になりました.わたしが教会へ行く後押しをしてくださったり,こんなかたちで力をくださったり,本当にどうもありがとうございます,神父様!




